もともとそういう性格だった。物事の先行きをちゃんと見通せないと、安心して次の行動に移れない。なかなか自分のコンフォートゾーンから踏み出せない癖がある。今でもそれは変わらないけど、昔に比べてその傾向が強まっている気がする。昔は経験がなかったから、先のことが予想できず、何も考えずに行動できた。失敗も多かったけど、その分、思いがけない発見やワクワクする瞬間もあった。でも、今は違う。いろんな経験や失敗を重ね、「こうすればうまくいく」「こうすると失敗する」とパターンを学んでしまった。それが冷静な判断や失敗の回避に役立つ一方で、新しいことに挑戦するハードルになっている。
知識と経験が、行動の足かせに
若い頃は、準備不足で突っ込んでいって、痛い目を見ることも多かった。「もっとちゃんと準備しておけば」「あの時こういう知識があれば」と後悔することも少なくなかった。その反省が、今の自分を形作っている。でも、経験や本から得た知識が増えたことで、行動する前に「失敗したらどうしよう」「こうなる可能性が高い」と、頭の中でリスクを計算しすぎてしまう。結果、居心地のいいコンフォートゾーンから一歩踏み出すのが、昔よりずっと難しくなった。
コンフォートゾーンにいること自体は悪いことじゃない。安心できる場所があるのは、むしろ幸せなことだ。でも、人間ってやっぱり新しい刺激や挑戦がないと、どこか物足りなさを感じる生き物だよね。最近、ふと「生きるのってつまらない」と感じる瞬間が増えた。歳を重ねて体が思うように動かなくなったり、やる気が減ったり、将来への不安がちらついたり。いろんな原因があるけど、一番大きいのは、経験や知識が脳に強固なパターンを刻み込んでしまったことかもしれない。「こうするとこうなる」という予測が、行動を萎縮させ、自由に動くことを妨げている。
完璧を求めすぎる自分を解放する
確かに、知識や経験は失敗を減らす武器になる。過去の失敗から学んだ「こうすればうまくいく」という教訓は、冷静な判断を助けてくれる。でも、過剰に「完璧な準備」を求めすぎると、結局何も始められない。新しい挑戦を前に、「これがダメだったらどうしよう」と考えるより、「まあ、なんとかなるか」と軽い気持ちで一歩踏み出してみる方が、案外うまくいくのかもしれない。
たとえば、昔ハマっていた趣味をもう一度やってみるとか、気になっていたけど手をつけていなかった小さなことに挑戦してみるとか。失敗したって、それが新しい経験になるだけだ。完璧じゃなくていい。ちょっとした一歩が、脳に染み付いた「安全第一」のパターンを少しずつ上書きしてくれるはず。
動くことで、退屈を打破する
生きていく中で、刺激や新鮮さは自分で作り出すものだと思う。コンフォートゾーンに留まるのも悪くないけど、そこに閉じこもっていると、だんだん「つまらない」が積み重なっていく。昔の自分みたいに、全部を見通そうとせず、ちょっと無鉄砲に動いてみる。そうやって小さな行動を積み重ねていくうちに、きっと「生きるのって面白い」と感じる瞬間が戻ってくるんじゃないかな。
もちろん、今が十分幸せだと感じるなら、無理に動く必要はないのかもしれない。でも、どこかで「もっと自由に動きたい」「新しいことに挑戦したい」という気持ちがくすぶっているなら、完璧な計画を待つ必要はない。失敗しても、そこで得た経験がまた新しいパターンを作ってくれる。2025年の今、ちょっとだけ勇気を出して、コンフォートゾーンから一歩踏み出してみようと思う。小さな一歩が、脳に刻まれたパターンを少しずつ変え、生きる楽しさをもう一度思い出させてくれるはずだ。
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